
どうも、レトロゲームマニアのカワノです。
今回の記事は
バカで
貧乏サラリーマンで
借金300万円だった僕が
どうやってファミコンで稼げるようになったのか?
というお話です。
僕は
2023年、現在
ファミコン関連の
- Amazonを使ったネット販売
- ブログ
で
6年以上、
安定して収益を上げ続けています。
普通に生活する分には
全く問題ないぐらい稼げています。
息子2人を私立中学に通わせ、
さらに長男を2023年
アメリカに1年間、留学に行かせるぐらいです。
過去にはAmazonとブログ合わせて
最高月収100万円以上
だったこともあります。
本当かよ!?
胡散臭いわ〜
と思うでしょうけど
本当の話です。
僕は自分の
子供の頃の夢だった
「ファミコンばっかりして、生きていけたらいいなぁ~」
の夢を
大人になって叶えることができました!
なぜ、そんなことができたのか!?
僕がファミコンで稼げるようになった秘密を
順を追って書いていきます。
目次
- 1 軽く自己紹介
- 2 バカだったレトロゲームマニアカワノ
- 3 いじめに耐えた中学生時代
- 4 イタイ高校生時代→サラリーマンになるまで
- 5 ブラックサラリーマン時代
- 6 サラリーマン怖いよー
- 7 明日から会社に来なくていいから
- 8 新しい船出!
- 9 待っていたのは地獄だった
- 10 極貧生活の川野
- 11 さらに借金が倍増!
- 12 ネットビジネス拒絶される
- 13 俺はこのままじゃ嫌だ!生まれ変わりたい!
- 14 別れ
- 15 Amazonのネット販売に挑戦!
- 16 俺、キモくないか?
- 17 で、稼げたのか!?
- 18 ピコピコ地獄
- 19 失敗と苦しみから成功は生まれる
- 20 人生の勝ち組へ
- 21 ワクワクすることに素直に「学んで」猪突猛進する
- 22 令和の時代にファミコンしようぜ!
軽く自己紹介
僕は1978年生まれ
大阪生まれ、大阪育ち。
すでに結構なおっさんです。
2017年から
大好きなファミコンの事で
- Amazonでのゲーム販売を始めて
- ブログも書いて
3万円→5万円→10万円→20万円と
稼げるようになりました。
ビジネスの事を学んで実行すれば、
アホだった自分でも稼げるようになるやんけ!
ということに
気付かされました。
今は本気で
お金持ちになりたい!
マジで1億円とか
稼いでみたい!
を目指してます。
自分の息子たちに
- 過去にバカでダメダメだったお父さんみたいな人間でも、本気で努力すれば変われるんや!
- 人生ってお金持ちになれば、楽しく自由に生きれるんや!
- 夢は叶うんやー!
というのを証明するために頑張ってます!
そのせいで最近は
ファミコンを触る時間が減ってしまいましたが(笑)
いや、ファミコンも面白いし、大好きなんだけど
その30倍くらい!
自分でビジネスをするのが楽しいー!
って気づいてしまったのです!
ゲームの事で→ブログ書いて→
人の役に立てて→さらにお金が稼げる!
なんて素晴らしい世界なんだ!
と
45歳になった僕は
初めて「ドラクエ」やった時のように
自分が主人公として
竜王をぶっ倒す!
アレフガルドを救う!
みたいな感覚で
レベル上げをしながら
目標に向かって
ワクワクしながら
毎日、過ごしています!
しかし!
今は自由に
ファミコンで遊びまくれて、
自分のチカラで稼ぐこともできて
楽しいぜ!
ひゃっほーい!
と浮かれている僕ですが…
順風満帆な
人生ではありませんでした。
- バカで
- 貧乏サラリーマン
- 借金300万円
- 子供のお年玉を取り上げて光熱費を払う
クソな人間だった時代もあったのです。
バカだったレトロゲームマニアカワノ
僕は小学生の頃、
勉強が大嫌いで
家でひたすら
ファミコンしまくっていました。
宿題なんか一回もやったことがなく…
全く勉強せずに
学校の成績もテスト0点とか10点とか
「リアルのび太」かよって感じの
ポンコツ小学生でした…
普通の家だったら
子供がゲームばっかりしていたら
「ゲームばっかりしてちゃ、ダメでしょ!」
「早く宿題やりなさい!勉強しなさい!」
って
ママンに怒られると思います。
しかし、
僕の家ではそうじゃなかった。
ウチの母親は
僕が小学2年の時に
精神分裂症(今でいう統合失調症)という病気になりました。
ある日、突然
- 一晩中、寝ずに「お経」を唱え出したり…
- 裸で外に出て行こうとしたり…
- ホタル族ー!ホタル族ー!と大声で窓から叫んだり…
- 僕を学校に行かせず、電車でどこかに連れていこうとしたり…
普通じゃなくなってしまったのです。
「お母さんの目が怖いー!」
「お母さんがおかしくなってしまったー!」
小2の僕は、
マジで恐怖しました。
もちろん、
一緒に暮らしていける状態じゃないので
母親は精神病院の閉鎖病棟で
入院するカタチとなりました。
一体、どーなってしまったんだ
ウチの母さんは…
元に戻るんだろうか…
すげー不安で
ショックでした…。
カワノ家の両親は
自営業をやっていました。
1階が仕事場、
2階が自宅というプレハブみたいな住居でした。
家にはミシンが何台も置いてあって
それを勝手にいじると
親父によく怒られた…
親父は朝から晩まで
仕事をしていた…
母親もそれを支えて
家事と仕事をしていたのですが
精神的に
いっぱい、いっぱいになってしまったのでしょう…
先に述べたように、
精神的な病気になってしまい入院してしまったのです。
父親は
仕事と家事と育児…
一人で3つも
やらなければならなくなった。
(自分も人の親になった今だからわかるのですが、マジで大変だったと思います)
子供の面倒をみたくても
みる暇もありません。
(ちなみに僕以外にも兄が2人います)
すでに中学生だった兄たちは
洗濯や食事の家事を手伝っていました。
小学2年生の僕は
お風呂掃除ぐらいの家事しかできませんでした。
お母さんのいない家は
なんだか、みんなが殺伐としていました…。
親父は仕事を終えると同時に
黙ってテレビを観ながら大酒を飲み…
兄2人は家の手伝いに関して
「お前、洗濯をもっとちゃんとしろ、飯もちゃんとしろ」だの
お互い汚い言葉で罵り合うことが絶えない…
そんな日々でした。
僕はその空気に耐えきれず
ゲームの世界へ逃避しました。
勉強もせずに、
ひたすらファミコンに没頭。
羨ましいと思う人もいるかもしれませんが…
母親がいない寂しさ…
男ばっかりの殺伐とした空気…
食事もスーパーの総菜ばっかり…
家族が揃って
温かいご飯を食べることも少なく…
毎日、毎日、風呂掃除…。
次第に僕は
なんで家にお母さんはいないんだ…
自分は「普通」すら手に入れられないのか…
小学生ながら理不尽を感じて
「世の中は不公平だ」
「なんで、ウチには母ちゃんがいないんだ!」
幼き頃、母親に素直に甘えることが出来なくて…
性格がひねくれて
ネガティブな気持ちが
心をドンドン支配していったのでした。
いじめに耐えた中学生時代
お母さんの病気が早く良くなって
家に帰って来てほしいなー
僕は本気で神様に祈りました。
でも、残念ながら
その願いは通じませんでした。
母親の病気は
なかなか治らず、
月日が流れ
僕は中学生になりました。
同級生はみんな
僕の母親が精神病で入院していることは知っています…
「カワノのおばちゃん、精神病院に入院してる」
みたいな
いじりは普通でした。
さらに僕の通っていた中学は
超ヤンキー中学で
- 授業中、廊下でたばこを吸っている生徒がウロウロしている
- 生徒と先生が喧嘩している
- 学校の廊下で自転車レースが始まる
なんてことが
日常の学校でした。
最悪なことに僕は
「カワノのおばちゃん、頭おかしいんだろ」
「精神病って、どんな風になるん?」
ってことで
ヤンキーたちに絡まれるようになります。
顔と名前を覚えられた僕は
毎朝、学校に行くたびに
ヤンキーたちに
捕まるようになりました。
中には
優しいヤンキーもいましたが、
いきなりローリングソバット(飛び蹴り)をしてきたり
おい、今から1分以内に青ボス(缶コーヒー)買ってこい
時間に間に合わなければ、お前のおごりな
と
恐喝&パシりにされたり…
ヒドイ事をしてくるヤンキーもいました…。
そして、
良くないヤンキーたちからの「いじめ」は
エスカレートしてきて
体育から戻ってきたら
制服とカバンがなくなっていて
ゴミ箱に捨てられていたり…
弁当に毛虫を入れられていたり…
ゴミ用具入れのロッカーに入れられ、
ロッカーを倒されて出られなくされたり…
相当ないじめを受けました。
最初は「やめろや!」と抵抗もしていましたが
「キ○ガイの子供のくせに生意気だ!」
と
母親の悪口を言われて
ボコられました。
僕は母親のことを悪く言うヤンキーが許せなくて
何度か立ち向かいましたが、
奴らは基本、2人以上でつるんでいます。
多勢に無勢…
僕の反撃は
あっけなく叩きのめされます。
歯向かった罰、ということで
また翌日もヤンキーたちが絡んできます…
僕のメンタルは
ドンドン弱い心に蝕まれて
殴られるのは、
もうイヤだ…
痛い想いをするのは、
もういやだ…
僕はヤンキーたちに
母親の事を悪く言われても
ヘラヘラしているだけの
情けない男になってしまったのです…
「ちくしょー!俺にもっと力があれば…」
そう願っても
ファミコンばっかりやってきた非力なカワノ…
突然、ドラゴンボールの孫悟空みたいに
強くなれるわけでもありません。
毎日、ヤンキーの暴力という理不尽に
虐げられました。
「正義とは、なんぞや?」
誰か助けてくれ…
そう願っても
先生たちは見て見ぬふりだし、
自分が
「いじめられている、助けて欲しい」
なんて
誰かに相談したら
後でヤンキー達に
チクった報復を受けるんじゃないか…
怖くて親父や兄弟にも話せない…
一人で悩みを抱えていました。
「神様がいるなら、ヤンキーたちこそ罰を与えられるべきだろ!」
なぜ、俺は何もしていないのに
奪われたり、殴られたりしなければならないのか?
ヤンキーたちが僕をいじめて
ヘラヘラ笑って…
僕が泣いて…
- 理不尽な世の中
- 不公平な世の中
- 神様に祈っても無駄な世の中
僕の心はドンドン荒んでいきました。
幼き頃に見ていたヒーローアニメの
正義は勝つ!
あれは一体、なんだったんだ!?
現実は全然、違うじゃないか!?
純粋な心は
現実とのギャップに打ちのめされて
ますます僕の心はひねくれました。
塞ぎ込んで
ゲームばっかりするようになりました。
ただこの頃はファミコンではなく
町の駄菓子屋に設置されていた
当時、流行していた
100MEGAショックNEOGEOの
- 餓狼伝説2
- 龍虎の拳
などにハマってました。
小学生に囲まれて
ゲームをして
敵キャラを倒して
年下の小学生にドヤる中学生のカワノ…
ゲームの世界では
悪者をバッタバッタ倒せるのに
現実はヤンキーにいじめられている…
そのギャップに僕自身も
精神崩壊しそうな毎日でした。
イタイ高校生時代→サラリーマンになるまで
そんな小・中学生時代を経て
僕は高校生になりました。
ゲームばかりしてて勉強もできない僕は
名前さえ書けば入れるという
ド底辺高校に行きました。
またヤンキーたちに
いじめられるんではないか…
と心配していたのですが、
その学校はやたらと校則が厳しく
入学式の後、
1、2ヶ月としないうちにヤンキーたちは
ほぼ退学
残った生徒の多くのは
僕と同じように
ただ勉強ができない大人しい生徒ばかりでした。
運よく平和な高校生活をGETしたカワノ。
だけど、小中学校で
ネガティブな考え方が形成されていたため
「別に俺、友達とかいらねーし」
「学校なんてダルいだけだし」
今で言う完全に
厨二病
をこじらせた状態。
学校に行っても
常に机で寝たふりをしているという…
完全ボッチな
すかした野郎になっていました。
もちろん、女の子とは喋れないし
友達もできない…。
学校行って、
バイト行って、
ゲーセンか駄菓子屋で
餓狼伝説スペシャルをする毎日…。
街で同じ歳ぐらいの高校生カップルが
自転車の二人乗りとかして
青春しているのを見ると
「こけろ!」
「警察に捕まれ!ばかやろー!」
とか、
本気で思ってました。
心がひねくれすぎて…
他人の幸せに悪口まで言う
最低な人間になっていました。
本当は自分も
- 友達が欲しい!
- 女の子と喋りたい!
- 彼女とか欲しい!
- 学校生活をエンジョイしたい!
- 青春したい!
心の底では
そう思っていたのに
「どーせ、欲しいものを願うだけ無駄。どーせ俺には何も手に入らない…」
今までの過去の出来事が
自分への可能性を全て潰してしまう…
素直な感情を表に出すことは悪!
という
ネガティブモンスターカワノになっていたのでした。
青春と呼ぶには
あまりにも寂しすぎる
高校生時代でした。
高校は
なんとか無事3年で卒業しました。
もちろん、カワノは
大学なんて行ける学力はありません。
高卒→就職の流れです。
しかし、僕らの世代は
就職氷河期と呼ばれていたので
高校卒業→就職
というのが
極端に少ない時代でした。
カワノも当然のように
高校卒業して
そのままフリーターになりました。
月10万円前後のバイトをして
実家に住みながら
プレイステーションばっかりやって過ごす…
ギリギリ、ニートではない
そんな生活でした。
そして僕は
18歳~26歳という
人間としての黄金の時代を!
若いから何に挑戦しても許される時代!
大切な時間を!
ゲームとバイト
そして…
新たに覚えた
パチスロというものに費やして
大半の時間を過ごしてしまいます。
朝からパチスロ
(ニューパルサー・北斗の拳などなど)
↓
夕方からバイト
↓
夜中ゲーム
クソな日々を無限ループ!
そのくせ
「俺はいつか、でっかいことをやってやる!」
「俺には、人と違った何かがあるはずだ!」
と言いながら…
何も変わらない
クソな日常を過ごし
8年という月日が流れました…。
気付いた時は、
周りのみんなも就職して
社会人になっていました。
さらにこの頃、
消費者金融で借金もしていて
「はぁ~俺もそろそろ、落ち着かないとな…
借金を返すために正社員で働くかー」
と
意味の分からん
自分への言い訳をして
就職活動をはじめるのであった。
ブラックサラリーマン時代
さて、そんな
バカ高校卒業→8年間フリーター
の経歴のカワノ
そんなヤツが就職活動したところで
まともな働き口は見つかりません。
というか
見つけれません!
僕は求人広告を見ていても
すぐに
当社の営業は
初心者でも
月収50万超えも可能!
とか、
楽しいアットホームな職場です!
という
甘言に反応して
騙されてしまい…
いざ、面接に行くと
見事に全てブラック企業!
って感じでした。
なかなか仕事が見つからない。
そして、
「もういい加減、仕事決めたいー!」
と
僕がメンタル的に弱り切っていた時…
明らかに
ブラック企業っぽい
人材派遣会社に「採用」ということで
正社員としての仕事が
決まってしまったのでした!
その職場は
朝の8時から出社
退社時間は定められていない…
という
恐ろしい会社でした。(完全にブラック)
仕事内容は
「働きたい」という応募者の面接をする→人が足りない会社に紹介する
単純な仕事。
ちゃんと人と会話さえ出来れば
誰でもできる仕事です。
当時、
人見知りで
コミュ障だった僕は
自分で
「なぜ、この仕事を選んでしまったのか!?」
切羽詰まっていたとは言え、
完全にミスチョイスしてしまったなぁ~
今すぐ辞めたいなぁ~
と
考えていました。
しかし、僕は正社員として働く際に
「やっと、カワノも正社員で働くのかー頑張れよー」
とか言ってきた
友人や知り合いに対して
「俺が真面目に働いたら、えらい事なるからな…」
「すぐ出世したるからな!」
「お前ら、ホンマ見返したるからな」
的な…
大口を叩いてしまったので
さすがに一瞬で
仕事を辞めるわけにはいかんな…
しくじったな…
と反省していました。
虎視眈々と「いつ仕事を辞めてやろう」と考えながら
1ヵ月が経った。
初めての給料をもらった時…
僕は震えた。
研修期間として
もらった給料は
14万円だった…
はぁあああ?
朝8時に出社して
とりあえず20時頃にみんな帰り出すので
それに合わせて
帰宅していたけども…。
1日12時間以上の拘束…。
それを週5日
時として土曜出勤の時もあった。
まぁ、少なく見積もっても
僕は一ヵ月に
240時間以上、働いていた。
(まぁ、仕事内容はそこまでキツくはないけど)
それで給料が
14万円…
時給にすると
580円ぐらい…
世の中ってこんなにも厳しいのか…?
いや、いや、
この会社がおかし過ぎるだろ!
これは早々に
この職場を辞めなければ!
と思っていたのだが
人生とは
おっそろしいもので
このタイミングで
僕は当時、付き合っていた彼女に子供ができた…
(自業自得)
話合いの結果
結婚することになり、
このタイミングで
「仕事を辞める」
なんて事は
もってのほか…
とにかく
「生まれてくる子供のために」
「嫁のために」
「父親として」
ブラックとわかりきっている会社で
馬車馬のように
働かないといけなくなってしまったのであった。
サラリーマン怖いよー
見事に
人生のラットレースに捕まってしまったカワノ…
僕は毎日、毎日
働きました。
研修期間を終えた僕の給料は
16万円でした…
もちろん
1ヵ月240時間以上、働いてです…
改めて
「おい!マジか!?」
って話です。
24~26歳の頃にやってた
パチンコ店のバイトの方がもっと稼げたぞ!
と、内心思いました。
とりあえず、上司に
結婚するんです!
子供が生まれるんです!
ってことを伝えたら…
翌月から
扶養手当で給料が17万円になりました…
1万円アップしただけ…
え!?嫁と子供を養っていくための手当てって
1万円なんかいっ!
僕は色々と突っ込みたい気持ちがいっぱいでしたが…
それも我慢しました。
僕はサラリーマン(この会社)に
絶望しました…。
だけど、
数か月後には
子供が生まれてくる
出産を控えた嫁に
「仕事、辞めたいねん…」
「転職したいねん…」
なんてことは、
今言うタイミングじゃないよな…
空気を読めない男のカワノにでも
それぐらいはわかりました…
仕事、辞めれませんでした。
生まれてくる子供のため
苦手な対人関係の仕事を
無理矢理こなしました。
ストレスで手がかぶれて
ボロッボロになりました。
明日から会社に来なくていいから
1日12時間の拘束が当たり前…
ブラック企業に僕は
生まれてくる子供の為に!
嫁の為に!
頑張って働いた。
僕は31歳になっていました。
気付けば、
子供が二人になっていた…
2人目の子供ができたからか
給料は
18万円になりました。
・・・
・・
・
この会社がおかしいことは
僕自身が一番、理解しています。
でも、同じ会社で
長く働けば働くほど…
俺みたいなもんが
他の会社で雇ってもらえるのだろうか…
とか、
コロコロ仕事を変えていたら
「我慢できないヤツ」って思われるだろうな…
とか、
結局、俺には
この仕事が向いているのかもしれない…
とか、
そんな風に考えて
- 結局は食べていくために…
- 生活のために…
- 仕事を辞めれない…
- 転職できない
ヘタレ、カワノは
会社にしがみついて生きていたのです。
そんなある日…
いつも通り会社に行くと
珍しく、
朝早くのタイミングで社長がいました。
「カワノ、ちょっといいか?」
と別室に連れていかれて…
「カワノ、明日から会社に来なくていいから」
と言われました。
は?
僕は意味がわかりませんでした。
なんだ?これは?
社長の親父ギャグか?
どっきりか?
僕はマジで混乱しました。
5秒ほど、時が止まりました。
僕がそんなことを考えていると
社長は淡々と手短に
2008年のリーマンショック以降
会社の売上げが激減した。
今月中に会社は破産の手続きを行う。
今回の退職は会社都合になるので
失業保険はすぐに出るから安心したまえ。
などなど
一方的に話を聞かされ
僕はリストラされてしまいました!
一連の話が終わり、
僕は会社の雑居ビルの屋上にいました。
一人、たばこを吸って
はぁ~とため息をつきながら
一体、今までの俺の努力はなんだったんだ!?
5年間、
築き上げてきた取引先との信頼
スタッフとの関係
全部、消滅やないか…
社長やったら
社員に相談もせず、
勝手に会社を辞めてええのか?
メッチャ理不尽じゃないか?
転職せずに、
この会社で出世して給料アップしてやるー!
の計画はなんだったんだ?
ってか、俺
明日から無職!?
妻子持ちなのに!?
(しかも、この頃は二人目の息子も生まれてた)
ブラックな会社だったけど
まさか、こんな形で終わるとは…
色んな想いが
頭をぐるぐる回りました。
僕はその日
- ブラック企業でも正社員として働いていれば、給料は貰える。
- 気に入らない仕事でもサラリーマンやってりゃ、とりあえず人生は安泰だ。
- サラリーマンじゃない奴は、大人としてダメだ。
といった
信じて疑わなかった常識。
サラリーマンは
絶対「安全」という価値観が
崩壊してしまったのでした。
そしてその逆に
- サラリーマンとして、どれだけ頑張っていても経営者の勝手な都合で会社は消滅する。
- どれだけ僕が個人的にその会社を大事にしていても、世の中の景気に左右されて会社は倒産する。
という
世の中の厳しさを知ったのでした。
この「突然のリストラ事件」をきっかけに僕は
「サラリーマン恐怖症」
になってしまいました。
もし、次に務める会社も
倒産したらどーしよう
まだ再就職して
働いてもいないのに
新しい会社に入っても
「数年経ったら、また突然リストラされるんじゃないか!?」
そんな映像が頭に浮かんでしまって
(トラウマというやつですね…)
どーしてもサラリーマンとして
再就職する気になれなかったのです。
しかし!
毎月の給料をゲットしないと
嫁・息子を食べさせていけない!
サラリーマンに戻りたくない!
精神的に「板ばさみ」になって
行動できなくなった僕は
アルバイトでもして食いつないでいかないとな…
とか、
考えていたのですが
30歳を過ぎて
妻子持ちのおっさんがアルバイトって…
盆と正月にしか合わないけど
親戚のおばちゃんに
「あんた、30も過ぎて奥さんも子供もおるのに、アルバイトって何を考えてるの!?」
とか
言われそうだ…。
世間体が悪すぎる…。
サラリーマンは無理…
アルバイトもダメ…
「じゃあ、俺は一体、どーしたらええねん!」
精神的にかなり追い込まれて
働いてもいないのに
毎晩、お酒を飲んで過ごして…
ダメダメな状態に陥っていたのでした…。
新しい船出!
そんな、よろしくない状態だった日々。
しかし、思いもよらない形で
僕は再スタートすることになりました。
一緒に会社をリストラになった
元同僚の友人が
「前の会社のノウハウをパクって二人で起業しないか?」
と誘ってきたのです。
再就職する気になれなくて
繋ぎでアルバイトするのも体裁が悪いなー
と思っていた僕にとって
「起業」という2文字は
まさに「その手があったか!」でした。
- 自分たちが社長として事業するのでリストラされることはない!
- 体裁も悪くない!
- 頑張れば頑張った分、稼げる!
- 起業するために必要なお金も二人で出し合えばなんとかなる!
まさに僕にとって
全ての問題が解決されている!
魔法のような提案でした!
「やろう!起業!」
僕は友人と
会社を立ち上げることにしたのです!
もちろん、周りからは
大反対されました。
「今は絶対に起業しない方がいい」
「不景気だから、やめておけ」
会社の先輩だった人・友人など
色んな方に
忠告されました。
嫁も反対しました。
「アルバイトでもいいから、普通に働いて欲しい…」
そう言われましたが
今の僕にとっては、もう「起業」こそが
最良の選択肢だと思い
「半年後には、給料100万円、稼いでくるから!」
と
勢いだけの意味不明なセリフで
妻を強引に納得させ
起業するのでした。
待っていたのは地獄だった
周りの反対を押し切って
人材派遣の会社を立ち上げた
僕と元同僚の友人。
「おっしゃー稼ぎまくったるでー!」
鼻息荒く、
取引先に新しい名刺を持って
営業に行くのですが…
そもそも、前の人材派遣の会社が
リーマンショックの影響で
仕事が激減して倒産してしまっているのに
僕ら二人が
「新しい人材派遣会社を立ち上げましたー!人を雇って下さい!」
なんて
営業に行ったところで
「あれ、川野くん
自分で派遣会社立ち上げたの?
へーすごいねー
でも、今、ウチも仕事減って
人いらないから
またなんかあったら電話するわ」
と
門前払い。
まったく仕事が取れない状態に陥りました。
予想よりも
かなり厳しい
立ち上がりとなりました。
所詮、僕も友人も
最終学歴が「高卒」で
ちょっと営業経験があるだけの
経営の勉強も
一切してこなかったポンコツです…
バカ二人、
勢いよくやってみたけど
会社が上手くいくことは
ありませんでした。
しかし、ここからが真の地獄でした。
僕らは二人とも
「周りの反対を押し切って」
会社を立ち上げたため
簡単に「ダメでした」といって
会社を辞めるわけにはいきません。
「なんとか稼げるようにしてやる!」
意味不明なプライドで
事業を継続させました。
そして、毎月毎月
少しずつ
借金ばかりが増えていくのでした…。
極貧生活の川野
会社を立ち上げてから
お互いに満足いく収入を得られず…
僕と友人の借金は増えていきました…。
この頃は、友人と
些細なことで言い合いになったり
喧嘩ばっかりしていました。
僕はほとんど
無給に近い状態でした。
昼間は自分達の事業を
なんとかしようと奔走して
夜中に運送会社の倉庫に
バイトに行って
食いつなぐようになりました。
嫁にもパートに出てもらいました…。
そうでもしないと
僕、嫁、息子二人
家族4人。
日々、食っていけなかったのです。
しかし、この頃
川野家はマジで貧乏でした…。
家賃は滞納するし…
電気代や携帯代が払えなくて
停まってしまったこともしばしば…。
特に食費は
最強に節約されました。
この頃、川野家では
1玉5円
のうどんが主食でした。
1玉5円って
そんな激安なうどん売ってる?
と思うかもしれませんが
これには技があって
20時閉店のスーパーに
19時過ぎに行くのです。
そしたら普段は
1玉39円のうどんが
賞味期限、今日まで
見切り品!
というカタチで
3玉テープにまとめられていて
15円で
売られているのです!
(1玉5円)
僕はそれを大量に買い込み
冷凍庫にぶち込んで保存。
食べるときに8玉ぐらい
大量に茹でて家族で食べる。
賞味期限なんてお構いなしです。
さらに別のスーパーでは
毎週火曜日お一人様1パックまで
卵10個が100円セールというのがあって
家族4人で並んで買いにいきました…
小学生と幼稚園の子供にもレジに並ばせて
卵を買わせる親…
店員さん
こんな状態でした…。
川野家にとって
¥100の卵は貴重なたんぱく源でした。
肉の入っていない「もやし炒め」も定番でした。
この頃の川野家は
鶏肉も豚肉も牛肉も
全ての肉は贅沢品でした。
なんせ息子の誕生日が
吉野家の牛丼だったのです…。
嫁の結婚指輪を売って
生計を立ててました…。
タバコも吸っていましたが、
そんなもん吸ってる余裕もありません。
強制的に禁煙でした。
(それだけは唯一、良かったことかもw)
家でペットボトルにお茶入れて
持ち運んでました。
自動販売機で
缶コーヒーを買う事すら節約してました。
- いつ、こんな節約生活が終わるのか?
- 立ち上げた自分たちの会社はいつか軌道に乗るのか?
不安に押しつぶされそうになりながらも…
2年、3年
時が経っていくのでした…。
さらに借金が倍増!
起業したにも関わらず
全く上手くいかない。
極貧生活。
そして
6年という歳月が流れました。
さらに、この時
状況は悪化しました。
僕の父親が喉頭ガンになります。
高額医療費制度などによって
治療費の自己負担額はなんとか抑えれたのですが
入院代など
メチャクチャお金がかかりました。
そして
さらに追い打ちで
母親が心労のため
統合失調症再発+痴呆症を患い
施設に入居しました。
病院代と施設代
メチャクチャお金がかかりました。
僕の借金額は300万円を超えました…。
人生オワタ…
本気でそう思いました。
僕は借金の支払いを
毎月、なんとかしないといけない!
このままズルズルと事業をしてても
マジで倒産してしまう!
死んでまう!
そう考えるようになり
何か稼げるビジネスがないか
ネットで
色々と探してみました。
ネットビジネス拒絶される
そしてネットビジネスに出会います。
- せどり(転売)
- ブログアフィリエイト
などなど
ネットでリスク少なく稼げる方法が
この世にあるというのを知りました。
もちろん、最初は僕も
「胡散臭い…」
そう思いましたが…
6年間、頑張って続けてきた人材派遣の事業…
一向に良くならない経営状況…
なら、いっそう
可能性に賭けて
ネットビジネスをやってみる方がよいんじゃないか?
僕はそう考えて
友人に相談しました。
しかし、
友人の答えはNOでした。
そして、友人は笑いながらこう言いました。
「俺たち、元々がバカでネットのことに強いわけじゃないのに、そんなことやっても絶対無理、稼がれへんって」
「仕事経験のある人材派遣の仕事でも、これだけ厳しいねんで…」
「なんか、ネットの奴らに騙されてるだけやって川野…」
「現実見てやっていかな、あかんちゃう」
それが友人の意見でした。
友人の言い分は、
間違っていない…
しかし!
正しいわけでもない。
でも、それじゃ俺たち
今まで通り人材派遣の仕事だけで
この先、やっていけるのか?
6年間も一生懸命やってきてダメなんだから
やっぱ無理なんじゃないか…
人間は可能性ある限り、
新しい道へチャレンジしてみるべきなんじゃないか!?
僕はその時、
声には出しませんでしたが…
心の中で
そう思ってました。
ただ、それを言ってしまうと
もはや、水掛け論になってしまうのは
わかっていたので
「確かに…お前の言ってることもわかる…」
とだけ
言いました。
その時の話は
一旦、それで終了。
僕は葛藤し続けました。
そんな時、僕にとって
人生を変える出来事が起こりました。
俺はこのままじゃ嫌だ!生まれ変わりたい!
人材派遣の仕事を続けるのか?
新しくネットビジネスにチャレンジするべきか!?
葛藤を抱えながらも
いつもの貧乏な暮らし…
うどんばっかり食べる日々…
お金の心配事が尽きない毎日
そんなクリスマスイヴの日でした。
夜中の倉庫のバイトに行こうとしたら
妻に呼び止められました。
「ちょっと、これ読んであげて」
渡された手紙を見ると息子の字で
—
サンタさんへ
クリスマスプレゼントは
wii Uが欲しいです!
マリオメーカーが欲しいです!
学校でゲームを持ってないのは僕だけです。
みんなにバカにされます!
だから、絶対にwii Uをください!
̶
と書かれていました。
その時に妻から聞いたのですが
息子はゲームを持っていないせいで
友達に仲間はずれにされて
泣きながら帰ってきたことが
何回かあったそうです。
その話を聞いて僕は
貧乏なせいで
家族に情けない思いをさせている…
何とか、
息子を笑顔にしてあげたい…
そう思いましたが
現実は厳しく…
お金がない
どーしてあげることもできず
妻と息子の寝顔に
「ごめんな…何もできなくて」
そう伝えて
バイトに行きました。
そして翌朝、
僕が帰宅すると
息子が朝から「大泣き」していました。
サンタさんが
プレゼント持って来てくれてないー!
また学校でみんなに馬鹿にされるー!
イヤやー!
と
いつもは息子が泣くと
「泣いてても、なんも変わらへんで!」
と厳しく叱る嫁も
「サンタさんも忙しくて
今年はウチに来られへんかったんかなー
ええ子にしてたら
来年は絶対にウチに来てくれるよ!
ゲーム持ってないことで馬鹿にしてくる子は
本当の友達じゃないよ」
そう言って
息子を優しく抱きしめて
なぐさめていました。
それを見て
全俺が泣きました。
クリスマスプレゼントも買ってやれない父親。
子供にうどんばっかり食べさせている父親。
卵を買うためにスーパーに子供を並ばせる父親。
誕生日に「吉野家」しか食べさせられない父親。
いじめられている息子を助けれない父親。
何なんだ!?
俺は一体!?
何で俺、うどんばっかり食わなあかんねん!
何で俺の息子、泣いてるねん!?
家族を幸せにするために
俺は毎日毎日、一生懸命、働いてるんちゃうんかい!?
なのに
なんだこの貧乏生活!
なんで、こんなことになってしまったんだ!?
ちくしょー!
悔しくて、悔しくて
涙が出ました。
そして僕は反省しました。
僕は「貧乏」になってしまったことを
自分のせいではなく
どこか
親の病気や
不景気のせいにしていないか?
本当に俺は全力を出して頑張っているのか?
稼ぐために本気で勉強したりしたか!?
自分を内省しまくりました。
そして、僕は
何とか貧乏から脱出したい!
息子にプレゼントを買ってやりたい!
家族を笑顔にしたい!
焼肉が食べたい!(せめて普通の)
そう思って
改めてネット販売やブログで稼ぐ方法など
人材派遣の仕事以外に
貧乏から抜け出す方法はないか
真剣に考え直したのです。
そして友人にもう一度
人材派遣の仕事を辞めて
ネットビジネスをしよう!
説得を試みました。
別れ
「やはり、どう考えても
これからは、ネットの時代だ!
だから、人材派遣の仕事を辞めて
ネットビジネスをやるべきだ!」
僕は改めて
友人を説得しました。
しかし、
何度、話をしても
友人の答えはNOでした。
そして最終的に友人は
ネットビジネスなんかをするくらいなら
俺は会社を辞めて、再就職する
という話になりました…。
僕は最終決断を迫られました…。
サラリーマン時代から数えて10年以上
お互いに会社の愚痴を言い合ったり…
起業してからは、
仕事が上手くいかずに喧嘩もしたけど
お金がなくて
昼飯でインスタントラーメンを
一個の鍋で
二人分作って食べたりした
まさに同じ釜の飯を食ってきた
苦楽を共にしてきた
元同僚であり、
良き友人…
しかし、僕にとって
人材派遣の仕事は(法律の厳格化など)
この先、ますます大手企業しか
戦えないフィールドになっていくことが明らかでした…
そして僕の中には
「これからは、ネットを扱える奴らが絶対に勝てる時代が来る!」
その確固たる確信がありました。
断腸の思いでしたが
「俺はネットビジネスがしたい!」
そう友人に伝えました。
僕の意思決定で
友人は会社を去り、再就職しました。
僕は一人でネットビジネスへの世界へ
飛び込んでいくのでした!
Amazonのネット販売に挑戦!
人材派遣の仕事を辞める。
ネットビジネスに取り組む。
僕は
もう、胡散臭いだの
稼げなかったらどーしようだの
言ってる暇はありません。
これから、稼げるかどーか
「ネットビジネスでやっていけるかどーか?」
自分の判断が正しかったかどーか
全ては僕一人にかかってます。
本格的にネットビジネスに
取り掛かりました。
まず、やったのは
Amazonでのネット販売
「家電ビームせどり」
と呼ばれるものでした。
「家電ビームせどり」とは、
大型家電量販店やドンキホーテなどに行って
バーゲン商品の値段をチェックする。
そして、次にスマホのアプリで
その商品とAmazonでの販売価格と
差額がないか調べる。
この際に商品のバーコードを
スマホのアプリで読み込むところから
このやり方を
「ビームせどり」と呼ぶらしい。
- バーゲン商品めっちゃ安い!
- Amazonの販売価格が高い!
となったものを
仕入れてAmazonで販売する。
安く仕入れて高く売る
そういう超シンプルな
誰でもできるネットで稼ぐ方法だ。
内容を理解した僕は
顔を指したくないという理由で
家からなるべく離れた
大型家電量販店に凸撃した。
まず、第一の壁が現れた。
俺、キモくないか?
店の中のワゴン商品
ただでさえ目立つ位置にあるのに
そこでスマホでバーコードを読むのが
ものすごく恥ずかしく
抵抗を感じた。
周りのお客さんや店員に
「あのおっさん、さっきから何ピコピコしとんねん、キモいわ」
とか、
あのおっさん怪しいぞ!
万引きするんじゃないか!?
と思われてんじゃないか
とか、
一人で勝手に被害妄想全開で
ビクビクしていた。
そんなことを意識すると、
「俺、人材派遣の仕事辞めて、何やってんだろう…」
という気持ちが芽生えた。
お腹もゴロゴロしてきて
トイレに直行。
ピコピコ調べても
中々、利益の出る商品が出てこない…
だんだん気持ちが折れて
「今すぐ家に帰りたい…」
という心境に陥った。
いや!いや!
あかん!あかん!
そんなことに
ひるんでいられないのだ。
- サラリーマン恐怖症で普通に働けない。
- 起業した人材派遣会社も上手くいかない…
- 友人に「これからはネットで稼げるヤツの時代になる」なんて啖呵切って訣別してしまった。
- 家族を笑顔にしたい!
今の俺にはこれしかないんじゃ!
この「せどり」というネットで稼ぐ方法で
成功するしかないんじゃ!!
と気持ちを強くして
「こんなもん、15円のうどん買うのに並んでるのと比べたら」
「玉子4パック買うのに、家族全員で並んでることに比べたら」
なんも、恥ずかしくないわい!
開き直って
バーコードをピコピコしまくった。
人間「これしかない」と思える気持ちになれた時、
異常な集中力と強さを発揮する。
この時の僕は
まさにそういうZONEに突入していた。
人目を気にしないようにして
やけくそにピコピコしまくって
ワゴンピコピコ
お腹ピーピーでトイレ
を繰り返しw
何個かAmazonで利益の出る商品を
見つけることに成功。
僕は初めての仕入れ
レジでお金を払う際に…
怖くなって手が震えた。
この仕入れ、失敗したらどうしよう…
ネットで全く稼げなかったら
どうしよう…
1万円ぐらいの仕入れだったが
ガチで手が震えた。
お札を持っている手が
ブルブルブルブル震えるのだ。
店員さんも心配して
「だ、大丈夫ですか!?」
と聞いてきたぐらいだ。
「だ、っだ、っだ、だ大丈夫ですぅ〜」
と
蚊の鳴くような声で返事をして
お金を渡し、
震える手でお釣りを受け取ろうとしたら、
わいは、お釣りを床にぶちまけた。
・・・
・・
・
超恥ずかしかった。
こんな感じで
僕の「家電ビームせどり」は
前途多難な幕開けだった…
で、稼げたのか!?
2回目以降の仕入れも
失敗への恐怖と
恥ずかしくて慣れないピコピコ作業に
変な汗を大量にかきまくった。
何度もトイレに駆け込んだ。
そして一ヶ月、
メチャメチャ頑張って
家電ビームせどり
Amazonのネット販売で
初月2万円の利益が出た。
2万円稼げた…
パソコンの前でつぶやき
やったー!
失敗せずに
ちゃんと稼げたぞ!
僕は狂喜した。
会社をクビになってからというもの
何をやっても上手くいかないと落ち込んでいた日々に
俺、やればできるやんけ!
という希望が
心の中に芽生えた瞬間だった。
そして冷静に
Amazonネット販売・家電せどりについて
この一ヶ月を振り返ってみた。
今回、5万円の仕入れをして
7万円の売上げで2万の利益だったのだが
それを基準に考えると、
7(売上げ)-5(仕入れ)=2(利益)
この計算式が成立するなら、
10万円仕入れたら、
14万円の売上げで4万円の利益が出るロジックだ。
14(売上げ)-10(仕入れ)=4(利益)
じゃあ、もし、
毎月20万円の生活費を稼ぎたいとするならば、
50万円分の仕入れをすれば良いのだな!
と、僕の脳内で
バカボンのパパ並みの
そろばんが弾かれた。
しかし、50万円という資金。
そんなお金、どこにあるねん…
禁断のクレジットカードを使えば、
なんとか50万円分、仕入れできるが…
また借金増えるのか…
僕は悩んだ。
しかし、
悩んでいても
現実は何も変わらない!
そのことは、この何年間で
身をもって学んだ。
「俺はネットで稼げることを、証明しなければならないのだ!」
クレジットカードを使っても
2ヶ月以内にそれをしっかりと売上に替えて
リボ返済じゃなく
全額返済すれば、金利もつかない!
なんとか、なるやろ!
いや、なんとかするのだ!
こうなったら、猪突猛進
やるしかないやろモードに突入。
俺は50万円の仕入れをしてやるぞ!
と意気込んで
家電ビームせどりの世界に飛び込んだ。
ピコピコ地獄
が、
またも厳しい現実が待っていた。
先月、5万円分の仕入れをするのも
かなりの家電量販店やディスカウントショップを回ったのだが、
今回は単純に
その10倍の仕入れをしないといけないわけだ。
あの忌まわしき、ピコピコ作業を10倍…
気持ちは折れかけたが、
やるしかない。
僕は腹をくくって
クレジットカードを握りしめ
50万円分の仕入れの旅に出た。
しかし、
何も学ばずに
単純ピコピコ作業を一心不乱にどれだけやっても
ちゃんと利益の出る商品に
そう簡単に巡り会えないという現実に直面したのだ。
あっちでピコピコ
こっちでピコピコ
おなかピーピー
なかなか利益の出る商品が見つからない…
こうなったら
しつこく粘り強くやるしかない
僕は諦めなかった。
いや、諦められなかった。
だって俺に残された道は、
もはや、Amazonのネット販売
ネットで稼ぐという道のみなのだから…
失敗と苦しみから成功は生まれる
何度もしつこく家電量販店に通って
ピコピコしていたが、
ある一定の商品は見つかるが
50万円分の仕入れをするのはキツかった。
このままでは、
生活費の20万円稼ぐのは無理か
不安が膨らんできた。
あまりにも
仕入れが上手くいかないので
他に何かやり方はないのか
またも僕はネットで情報を探してみた。
すると、
品薄の人気ゲーム機を
ネットで予約して仕入れて
値段増し増しで転売する
「人気ゲーム機せどり」の情報にたどり着く。
う〜ん、なるほど
人気ゲーム機の転売ねぇ〜
いや、でもコレって道徳的にどーやねん…
と思いながらも
人気ゲーム機ねぇ…
もう一度、つぶやき
なんか、引っかかるなぁ〜
何だろうなぁ〜と思って
モヤモヤした。
そして目線をパソコンから離した
その瞬間、
ついに
勝利の女神が微笑む
その時は訪れる。
僕の目に
息子に買ってあげたファミコンが飛び込んできた…
話が前後するのだが、
僕の人生を変えた
Wii Uを買ってあげられなかったクリスマスの後、
息子を何とかして笑顔にしてあげたくて
当時、Wii Uを買ってあげるのは
値段的に厳しかったけど
- ゲーム
- マリオ
の2つのキーワードから
ファミコンを思い出して
ネットで激安で売られていた
ファミコンとスーパーマリオブラザーズをプレゼントしたのだった。
(息子は無邪気に「やったー!家にゲームがあるー!しかもマリオのかわいいゲーム!」大喜びしてくれた)
なので
僕の家には
昔懐かしのファミコンがあったのだった。
話は戻る。
息子に買ってあげたファミコンを眺めながら…
ファミコン…
レトロゲーム…
そーいや、先日「ミニファミコン」とかが販売されててネットニュースになってたよな…
俺が昔、通ってた中古ゲーム屋さんって全部なくなっちゃたよな〜
とか、考えていると…
僕は閃いた!!!
頭の中の点と点が
一本の線に繋がった!
閃いてしまったのだ。
そうだ!
ファミコンを
Amazonで売ったらいいのでは!?
いや、本体よりも
ソフトの方が需要ありそうやな、
タイトル数も多いし、
きっとレアなものは
プレミア価格とかついてるやろうし、
うおおおおお!
なんで気づかなかったんだ!
ファミコンや!
ファミコンのカセットや!
絶対、イケる!
早速、調べるぞ!
超興奮して大声で独り言を連発。
バーサク状態に突入した川野。
そのまま20時間ぐらいぶっ通しで
ネットでファミコンソフトのことを調べまくった。
色々と調べてみた結果、
ファミコンなど、
中古ゲームソフトのAmazonネット販売は
初心者でも稼ぎやすいジャンルだということが判明した。
人生の勝ち組へ
「これはイケる!」
調べ上げた結果をもとに僕は
大量のファミコン・スーパーファミコンのソフトを
某オークションサイトで仕入れた。
そしてこのビジネスを絶対に成功させるために
なけなしのお金で
Amazonネット販売の情報商材を買って
値段の付け方や
どうすれば商品が売れやすくなるのか
原理原則を学びまくった!
最初は中古商品の扱いに
戸惑ったが、
原理原則に従ってやっていくうちに
問題を解決し、
順調に売り上げを伸ばした。
そして「中古ゲーム販売」に切り替えて
ついに人生の大逆転劇がおこった。
なんと、一ヵ月の利益が
ソッコーで20万円を超えたのだ!
うおおおおおおお!
キタコレ!
しかも、
家電ビームせどりのピコピコと違って
ゲームソフトのほとんどが
オークションサイトなど
ネットで仕入れができるのである。
店舗に行く肉体的な労働、一切なし!
ピコピコの恥ずかしい作業も
一切しなくていい!
仕入れは家で座って
パソコン1台でできる!
あとは家でゲームソフトを磨きまくるだけ!
しかも、空いた時間で
懐かしのゲームで遊びまくれる!
何という便利な世の中!
ネット世界の素晴らしさ!
僕は家から一歩も出ずに
仕入れとAmazonへの納品を繰り返し
バンバン売上げを伸ばし続けた。
「これは勝ったかもしれん、いや勝ったやろw」
僕は人生の勝利を確信した。
そしてついに
「Amazon中古ゲーム販売」で
安定して月収50万円以上稼げるようになった。
僕はネットの効率の良さに開眼した。
その後、
自分でゲームブログも書くようになった。
最初は文章が書けなくて
全く人に読まれなかった。
でも僕は
すぐに問題点がわかった。
知識が足りないのだ!
ブログの事、
勉強しまくった。
情報に投資もした。
「ネットなんか稼げない」
僕のことを「騙されている」と笑った友人を見返すためにも
「ネットは稼げる!」
ということを完全に証明するためにも
僕はブログでも稼げるように努力を惜しまなかった!
- ブログのこと
- ビジネスのこと
ネットで稼ぐために
色んなことを学んだ!
その結果
僕のブログは
数多くの人に読まれるようになった!
放置しててもブログから
物が売れる。
サービスが売れるようになったのだ。
新しいことを
覚えれば、覚える程、
知識を
身につければ、身につける程、
それを外の世界に発信すれば、する程、
僕のビジネスは上手く回り出した。
そして、あらゆることを
「仕組み化」
できる脳みそになった。
バカボンのパパ並みの脳みそだった僕が
知識に自己投資してビジネスを学びまくって
そんなことまでできるようになった。
仕組みが形成されていると
僕が「1」働いただけで
その結果が「100」にも「1000」にもなった。
レバレッジの原理だ。
記事を1つ書くと、お客様が増える
動画を1つあげると、仕事の依頼がくる
いつの間にか、気づけば、
僕は遊んでいるだけになった(笑)
ワクワクすることに素直に「学んで」猪突猛進する
僕は
- 中古ゲーム販売
- ブログ
ネットで稼ぐ世界を通じて
サラリーマンの頃、
友人と人材派遣の仕事をしていた自分では、
絶対に手に入れられないものを手に入れた。
- 好きな時間に起きて、今日は何しようかなぁ〜という余裕。
- 時間に縛られない暮らし
- 人材派遣の頃のように、365日24時間、電話がいつ鳴るか怯えることも無くなった。
- 放置してても、ブログという仕組みで月収80万円を切らない収入
- サラリーマンに戻らなくても大丈夫という自信。
最初は戸惑ったが、
完全に住む世界が変わった。
サラリーマンとして
もう働かなくてもいい
不労所得。
仕組みで稼いで自由に生きられることが
本当にこの世に存在することを知った。
もし、あの時
会社をクビになっていなければ…
もし、あの時
起業していなかったら…
もし、あの時
毎日、うどんばっかり食べるぐらい貧乏してなかったら
もし、あの時
息子の涙を見て、生まれ変わりたいと思わなかったら
もし、あの時
友人の
「ネットビジネスなんて俺らには無理」という意見に圧倒されて
ネットビジネスをやってなかったら
もし、あの時
家電ビームせどりに挑戦していなかったら…
もし、あの時
自分自身が変わるしかないと思わなかったら…
今の自分には、たどり着けていない
そう、全てはここにたどり着くために
必要なことだったのだ。
行動したことによって
自分に何の知識が足りないのかがわかる。
あとは学べばいいだけ。
貧乏から抜け出して
稼げるようになった今でも
僕は「もっと上に行きたい!」
そう思って学び続けています。
そして誰かの役に立ちそうな情報は
これからもブログ記事だったり、
動画だったりで発信していきます。
まだまだ未完成なこのブログですが
今、ファミコンが好きで遊んでるけど
人生が楽しくない…
そう感じている人に
楽しいひと時を過ごしてもらえるように!
これからも頑張っていきます!
ちなみに僕からのファミコンの情報が毎日届く
レトロゲームマニアのファミコン通信!
まだ登録していないファミコンFANは
楽しいメールが届きますので是非!
※icloudや携帯メール(docomo、au、softbank)
だと、返信のメールが届かない場合が多いので
Gmailやyahooメールの登録を推奨します!
PS.
物語を読んだ感想を
たくさん頂いています。
ありがとうございます。
「めっちゃ、ええ息子や」
「嫁のフォロー素晴らしい、うちなら離婚してるわ」
など、
なぜか僕以外の家族のことと
貧乏エピソードの感想ばっかり(笑)
もし、あなたも感想・思ったことがあれば、
一行でも構いませんのでメール下さい。
メールはこちら
↓
asp●advaplus.com
(●を@に変えてメールして下さいね)
全てに返信はできませんが、
必ず目を通させてもらっています。
感想や思ったことを書くことで
あなたの想像も膨らみますので
何か思ったことがあったらメール下さい。
令和の時代にファミコンしようぜ!

AV化ファミコン!ファミコン発売40周年記念に先駆け!
遂に販売される!天下人搭載【AV化ファミコン販売】さらに、なんと!
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