任天堂を倒産の危機から救った男・横井軍平さんの話がマジ面白い

どうも、レトロゲームマニアのカワノです。

本日は、ファミコン大好きな人だったら超おもしれー話です。

僕ら、ファミコン好きにとって

NINTENDO=神=人生の全て

といった感じだと思いますが

ファミコンと出会って40年以上が経とうとしているのに

俺、神について(NINTENDOのこと)

なんも知らねーなーと思って

それは、神に対しての冒涜だなと思って

ファミコンのこと、任天堂のこと

もっと知っておこうと思って

調べてみたんだわ。

そしたら、とんでもなく面白かったので

備忘録的なノリでブログ記事書きます!

実は任天堂は元々、〇〇だった

まず、調べてみると任天堂という会社は

1889年の明治時代に創業された花札&トランプを販売していた玩具メーカーだった。

↑これ、超有名な話ですが

実は、その前身として任天堂は1885年に石灰問屋として

「灰岩」「セメント」を販売する会社だった事実を知った。

マジ?

全然、ファミコンと関係ないやん。

任天堂ってゼネコンやったんや・・・

驚いた。

さらに創業者の山内房治郎は、任天堂の花札を全国に販売しまくるために

当時の「明治の煙草王」と呼ばれる村井吉兵衛のタバコの販売網を使って

花札の宣伝をして大儲けをしたらしい。

  1. 花札を使う人→ほぼタバコ吸うよな
  2. タバコに花札のオシャレなおまけのカードつけよう。
  3. おまけが全部揃ったら「花札」が一式整って遊べる!

という仕組みだったらしい・・・

房治郎、めっちゃマーケティング上手いやんけ!

と思いました。

ってか、一緒に仕事をした「明治の煙草王」ってなんだよ!

めっちゃかっこいいやん!

俺も「令和のファミコン王」とか呼ばれたいわ!

ちなみに花札やトランプを売ると骨牌税(トランプ類税)という税金が取られるらしい。

本当に日本という国は、何にでも税金をかけやがる!怒

世界初の〇〇は任天堂

そして、時は流れ、

江戸時代から地道に花札を売ってきた任天堂は

3代目の社長:山内溥の時に世界の任天堂と大化けしていく。

まず、世界で初のプラスチック製のトランプが製造された。

従来のトランプよりも、汚れない・濡れても平気・強いということで

順調に売り上げを伸ばした。

そして山内溥はこのプラスチック製のトランプで世界のディズニーとコラボする。

ディズニーキャラが描かれた「かわいいトランプ」を作ってバカ売れして大儲けした!

時代的に、この頃のトランプというのは、

所詮、「博打で使うカード」

まぁ、よろしくないものという位置付けだった。

世間体がよく無かった。

そこに誰でもわかるようにポーカーや7並べの遊び方

取扱説明書をトランプに付属させたことで

子供でもルールが理解できるようになった。

そしたら、一気に

家族みんなでトランプして遊ぼう!

一家団欒!

トランプ=大人たちの博打アイテムから

トランプ=家族で遊ぶ娯楽品!

という位置付けに成功した!

イノベーションや!

すげー!

と思った。

任天堂、実は倒産寸前だった

そんな感じで大儲けした任天堂だったが

社長の山内溥が「もっとトランプ売って、任天堂を大きくするぞー」ってことで

とりあえず、アメリカで一番でかいトランプ会社を視察してくるかー

ってことでアメリカに行ってみたところ、

アメリカでトップのトランプメーカー

会社も倉庫も小さいし、ボロい・・・

ショボ!!

というのを目の当たりにした。

このまま花札やトランプばっかり売ってても

未来は明るくない!

お先、真っ暗やんけ!

やばいやんけー!

と危機感を抱いた山内さん。

「もっと他の商品を作るぞー!」

「そうだ!花札やトランプと同じ、人に遊びを通じて喜んでもらう玩具作りを頑張るぞー!」

ってことで会社の主力商品をおもちゃ・玩具に切り替える。

その時、任天堂には会社の機械の保守・メンテナンスをする男がいた。

それが横井軍平という人だ。

当時、まだまだ小さい会社だった任天堂に大卒で入って

毎日、つまんねーなーとプラプラ仕事をしていた横井さんは

退屈しのぎで会社でこんな感じの物を作って遊んでいたらしい。

これが、社長の山内に見つかって、

横井さんは、社長室に呼び出しを受けた。

あーーーー俺、人生オワタ。

任天堂、解雇されるわ、

また新しい勤め先探さないと

凹んで、社長室に行くと山内から思いもよらないことを言われる。

横井くん、それを玩具にして商品化して売れるようにしなさい。

(できなかったら、殺す)

と命じられた。

そして、横井が作ったのがこちら

ウルトラハンド

これが100万台以上売れる大ヒットとなり

横井は今まで任天堂に無かった商品開発部を任されることとなった。

その後も

ウルトラマシン
(家庭用ピッチングマシン)

<任天堂ワリオカンパニーより引用>

こちらも大ヒットさせた。

横井のおかげで任天堂は、ええ感じに玩具メーカーとして発展していく。

しかし!

順調だった玩具開発であったが

ここで任天堂は大ゴケしてしまう。

当時、任天堂はアーケードゲーム業界に進出しており、

ボウリングブームが下火になって

閑古鳥が鳴いているボウリング場に

室内でできるクレー射撃場を作って(横井の開発した光線銃で)

大儲けしようという計画だったが

(企画自体はとても素晴らしかった)

オイルショックの影響で計画が破綻して

任天堂は何十億という負債を抱える。

オワタ・・・

山内は思っていただろう。

ちまちま玩具を売ってても

借金減らねーよ!

追いつかねーよ!

絶望していたと思う。

その時である。

横井軍平が起死回生の

ゲームウォッチを開発したのだ!

これが、売れに売れた。

累計で4300万台売れた。

ゲームウォッチの価格が1台4,980円だったらしいから

マジで何百億という売り上げだ。(兆いってるかも)

これによって復活した任天堂はファミコンの開発に着手し

さらに大企業へと発展していく。

ゲームウォッチ開発秘話

ちなみに横井は自分の開発した光線銃のせいで

会社に多額の負債を負わせてしまったという思いから

かなり頑張って商品開発に取り組んでいた。

そんな時、新幹線の中で退屈しのぎに電卓で時間潰しをしているサラリーマンを見て

新幹線の中で隠れながら遊べる手のひらサイズのゲームがあれば

売れるんじゃないか?

と思ったらしい。

さらにその時、ちょうどシャープでは電卓用の液晶を大量生産しすぎて

液晶の在庫が溢れていたらしく、価格も下がっていた。

生産コストも安い!

任天堂がゲームウォッチを作ったところ、

爆発的なヒットとなり、売れまくった。

横井は、電卓のために使われていた液晶をゲームに使うことによって

新しい価値を生み出したのだ。

ここに横井軍平の「枯れた技術の水平思考」という

超絶、かっこいい名言が生まれた。

まとめ

ということで

ファミコンのことについて調べていたら

任天堂のこと

山内房治郎、山内溥、横井軍平と

色んなことを知ることができた。

めっちゃ面白かった。

ちなみに参考文献はこれ

横井軍平ゲーム館: 「世界の任天堂」を築いた発想力 (ちくま文庫 よ 29-1)

横井軍平ゲーム館: 「世界の任天堂」を築いた発想力 (ちくま文庫 よ 29-1)

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まだまだファミコンを語る上で重要な人物

宮本茂さんや上村雅之さんのことなど調べきれてないけど

また続きを書く機会があれば、書いていきますー

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