貧乏すぎて本気で人生が詰んだ時の話

サラリーマン恐怖症になった時の話

前回のプロフィールの続き

友人と起業して
自らが「社長」になったものの

事業が全く上手くいかず
借金が増えていったカワノ。

いつか一発逆転が起こるはず!を夢見て
人材派遣の事業を続けたが

しかし、
さらなる試練が僕を襲いました。

さらに貧乏に

起業して「金持ちになってやるー」と言いつつも

全く貧乏だったこの頃、

僕の父親が「喉頭がん」になります。

不幸中の幸いで
ガンの転移はなかったのですが

入院して放射線治療・抗がん剤治療を行う必要がありました。

もちろん治療費にお金がかかります。

高額医療費制度のおかげで
抗がん剤治療などの治療費は
なんとかなりましたが

入院代などで
お金がとんでもなくかかりました。

さらに追い打ちで
親父の病気を心配していた母親が統合失調症&痴呆症となり施設に入居しました。

施設代が半端なく高いです…。

なんでこのタイミングで…。

ただでさえ、お金がなかったカワノ。

僕は、自分の生活も厳しい状態でしたが、
自分を育ててくれた両親を見捨てるほど
非情な人間にはなれませんでした。

もちろん収入よりも
支出が大きくなったため

借金はドンドン増えていきました。

気づけば
借金300万円。

人生、オワタ。

僕は絶望のどん底にいました。

なんでこんなことになってしまったんだろう

後先、考えずに

「後悔だけはしたくない」

という想いで

意地みたいなもんだけで
事業を続けてしまっているせいで…

ほぼ生活が破綻しかけてました・・・

お金の心配事が尽きない毎日…

お金がない

お金がない

お金がない

わあああああああああああああああ!!!!

僕は頭がおかしくなりそうでした。

不安で夜も眠れなくなる日々が続きました。

毎日うどん!極貧状態のカワノ家

この頃のカワノ家は

マジで貧乏でした。

「極貧」という言葉は
まさにこの頃のカワノ家のことを指す言葉でした。

僕のバイト代と妻のパート代(お互いかなりフルに働いてました)

全て一瞬で消えました。

手元に残るのは月4~5万円。

家族4人

それでやりくりしてました。

家計は火の車でした。

携帯代が払えなくて電話がしょっちゅう止まりました。

(仕事で必要なので、即回復させるためにまた借金です)

やばいときは、
電気やガスも止まったことがありました。

電気のスイッチを押して
電気がつかない時の暗い部屋の絶望感ったら

半端なかったです。

(その日はロウソクで一日、過ごしました)

ガスが止まると
ガスコンロで点火ボタン押しても

カチカチカチカチというだけで
火が点かない時のむなしさ…

お風呂のシャワーも温かくならない厳しさ・・・

キツかったです。

カワノ家は1玉5円の「うどん」が主食でした。

激安スーパーで
夜7時になると見切り品で売られる

「3玉15円うどん」を狙って買うのです。

それを大量に購入して大鍋で茹でて

自家栽培ネギと

(根っこのとこを鉢植えに植えて生えてきた再生ネギ)

これまた怪しいディスカウントストアで
賞味期限切れ間近、10円で売られていた
缶に入った「そうめんつゆ」で

ストロングスタイルの「ぶっかけうどん」を作り

家族4人(妻と息子二人)で食べるのです。

あとお一人様1パック限り100円の
特売セールの卵を家族4人で買いに行くとかもやってました。

卵はカワノ家にとって
貴重なたんぱく源でしたw

小学生低学年と幼稚園児の子供をレジに並ばせて卵を4パック買うのです…。

レジの店員さんに

こんな顔されました。

野菜炒めも定番でした。

肉なんて入っていません。

もやしと炒り卵のみの野菜炒めです…。

(それはもはや、もやし炒めです)

肉は、鶏も豚も牛も全て贅沢品です。

カワノ家では
吉野家の牛丼がご馳走!

子供の誕生日は吉野家へ!

が定番でした…。

ポテチを食べることが富の象徴!
とされていました。

家賃が払えなくて妻の結婚指輪を売ったりもしました。

この話をすると

「そんな、アホな?」

「話を盛り過ぎだー!」

って言われますが

冗談でも嘘でもないです。

マジです。

平成の世にこんな貧乏な家族がおってええの?
ってくらいの貧乏生活を送っていました。

もちろん、好き好んで
貧乏しているわけじゃないんですが

この頃の僕は
お金を稼ぐためにどーしたらいいのかわからず、

路頭に迷っていました。

節約節約の毎日。

でも、節約しているだけでは
収入は増えません…

いつまでこんな極貧生活を続けるんだ俺は…

これ以上、借金もできないぞ、

多分、今が限界ギリギリの状態だぞ。

常に危機感MAXで

マジで不眠症になりました。

本当に俺たちの事業は上手くいくのか?

最悪、倒産→破産→一家離散

なんてことになるんじゃないか・・・

不安で
不安で
不安で

本当に精神が崩壊しそうでした。

そして2016年も終わろうとしていたクリスマスイブ

僕に転機が訪れました。

僕は生まれ変わりたい!

いつもと変わらない貧乏な毎日。

クリスマスイブもカワノ家は、平日と変わりません。

夜勤バイトがあったので仕事に行こうとしたら妻から

「これ、見て」と言って手紙を渡されました。

そこには息子の字で

——

サンタさんへ

クリスマスプレゼントはwii Uが欲しいです!

マリオメーカーが欲しいです!

学校でゲームを持ってないのは僕だけです。

みんなにバカにされます!

だから、絶対にwii Uをください!

—–

そう書かれていました。

妻から聞いたのですが、
息子はゲームを持っていないせいで

友達から「仲間外れ」にされて
泣いて帰ってきたことが何回かあったそうです。

僕はそれを聞いて自分自身が
中学生の頃、ヤンキーたちにいじめられていた

「悔しさ」

「情けなさ」

「だけど、何にもできない自分」

忌々しい記憶がフラッシュバックしました。

貧乏が原因で息子が学校でいじめられている。

あの頃の自分と同じ思いをしているのかと思うと

胸が締めつけられ息が詰まりました。

何とかしてあげたくても現実は厳しく・・・

お金がない。

「ごめん、なんとかしてあげたいんやけど…そんな余裕ないわ…」

と妻に伝え、

「ホンマ、情けない親父ですまん・・・」

息子の寝顔に謝って

仕事に行きました。

年の瀬。

クソ寒い倉庫での肉体労働。

作業中に頭に出てくるのは

「俺の人生、一体、なんなんだ?」

「この先、安らぎなんてあるのか?」

「一生、お金ない地獄。働け働け地獄なんじゃないのか?」

「そんな人生、嫌だー!なんとかしてー!」

「せめて、息子にクリスマスプレゼント買ってあげれるぐらいになりてー!」

そんなことばかり考えてました。

そして、仕事が終わり

朝、家に帰ったら

息子が泣きじゃくっていました。

プレゼントを楽しみに起きて
wii Uが届いてなかった。

サンタさんプレゼント持ってきてくれなかったー!!!

また、学校でみんなにバカにされるー!

イヤやー!

学校行きたくないー!

息子がぐずったりすると
「泣いてても、なんも変わらへんで!」
と普段は厳しい妻が

その時は優しく息子を抱きしめながら

サンタさんも忙しいからな、

今年はうちに来られへんかったんかな~。

ええ子にしてたら来年は絶対にウチに来てくれるよ。

ゲーム持ってないことでバカにしてくるヤツらは本当のお友達じゃないよ

息子を
なぐさめていました。

それを見て

全俺が泣きました。

クリスマスプレゼントも買ってあげれない情けない父親。

学校で嫌な思いをしている息子を助けれない父親。

うどんばっかり食べさせている父親。

仕事がうまくいかない父親。

貧乏な父親。

なんでこんな事になってしまったんだ!

なんで俺の息子、なんも悪いことしてないのに泣いてるねん!

こんな自分いやだ!

俺は生まれ変わりたい!

ちゃんとお金を稼いで
息子にプレゼントを買ってあげたい!

貧乏から抜け出したい!

毎月、毎月
借金の返済に追われる人生なんて嫌だ!

毎日、毎日うどんばっかり食べる日々。

チクショー!

心の底から湧き上がってきた怒りに似た感情でした。

自分で事業をやっているのなら
自分のチカラでしっかりと稼がないといけない!

それまでの僕は何かしら

景気が悪い

運が悪い

タイミングが悪い

自分以外の何かのせいにして

仕事が上手くいかないこと・お金が稼げていないことを

自分のせいだと捉えてなかったんじゃないか!?

甘ったれていたのは自分やんけ!

と反省しまくりました。

もう息子を泣かしてはいけない!

家族を笑顔にしたい!

僕は本気で貧乏から抜け出してやる!

そう決意しました。

派遣の仕事にこだわらず、なんでもいい!

何かお金を稼ぐ手段はないのか

改めて真剣に考えました。

決別

そして、もう一度

友人とこれからの会社について話し合いをしました。

僕は

「6年も頑張り続けた派遣の仕事、稼げない現実をしっかり受け止めて、新しいことにチャレンジするべきだ!」


改て「変わる」ことを前提に自分の意見を言いました。

しかし、友人も譲りません…。

「派遣の仕事を続けるべき、ネットビジネスなんて怖くてできない」

話し合いは
平行線のままでした。

痺れを切らせた友人は

「ネットビジネスをするなら、俺、もう無理やわ、辞めて再就職するわ」

と言いました。

僕は決断を迫られました。

なんだかんだ言ってサラリーマン時代も含めたら

8年以上も一緒に仕事をしてきた友人

お金がないからと言って

昼飯で袋ラーメンを2人分、同じ鍋で作って

まさに「同じ釜の飯」を食ってきた友人です。

簡単に決断できませんでした…。

しかし!

僕にも守っていくべき家族がいる。

もう家族にツライ想いをさせないと決めたんだ!

彼との決別は辛かったですが

人間、何かを得たければ、何かを捨てないといけないのです!

僕は

「派遣の仕事はやめる。新しくネットビジネスをする」

そう友人に伝えました。

こうして僕は
友人と訣別して

友人は再就職

僕は一人で新たなネットビジネスをすることになったのです。

ファミコンとの再会

話は少し前後するのですが

息子のクリスマスプレゼントにwii Uを
買ってあげることが出来なかったカワノ…

息子に悲しい想いをさせたこと。

反省した僕は

1mmでも息子を喜ばせたい…

何かしてあげたい…

そう思ったので
某オークションサイトで

自分が昔やっていたファミコンを
息子にプレゼントとして
買ってあげることにしました。

wii Uはベーシックセットで定価¥26,250

対して

ファミコンは
某オークションサイトで安く買えました…。

なんとか子供を喜ばせたい一心で

ファミコン&スーパーマリオブラザーズを

生活が苦しい中でしたが
何とか買ってあげました。

息子は

「やったー!うちにゲーム機がある!」

「しかも、誰も持っていないマリオの可愛いヤツ!」

無邪気に大喜びしてくれました!

僕はその姿を見て

来年こそは絶対に

wii Uとマリオメーカー

本当にお前の欲しい物を買ってやるからな!

と誓ったのでした。

そして、

この時、息子に買ってあげたファミコンが

その後、カワノの人生を大きく変えるのであった!

↓続き

【ファミコンが人生を救った】レトロゲームマニアカワノの誕生